アテにならない自分の感覚
どうも、「家事見習い男子」です。
今でこそ、ナスを食べますが、小さい頃は苦手でした。
ぐにゅぐにゅした感じ
なんというか、あのぐにゅとした感じが苦手だった。
それでも、知らないうちに苦手は克服されていった。
いつからなんだろう?
いつからだろうと関係なく、今は、普通に食べれるので良いとしよう。
好みも変わるんだ
こういう好みが変わるって、考えてみれば面白い。
その裏にはどんなメカニズムがあるんだろう。
苦手というのは、ナスのぐにゅとした感じのように、なんらかの理由があるけど。
その理由は実は、こじつけというか、あえて苦手である説明をするなら、ということで。実際は、ただなんとなく、っていう要素も大きい。
その証拠に、ナスは今もぐにゅっとしているわけで。
最近のナスが以前に比べて、ぐにゅ感が減るように品種改良されたという話はあまり聞かない。ということは、そもそも、ぐにゅ感が苦手と考えていた自分自身の説明も、限りなくあやふやで、あやしいものだ。
アテにならない自分の感覚
他の人はわからないけど、少なくとも自分自身の苦手とかの感覚とは、こう考えると、なんとも頼りのないもので、苦手と思っていたものも、知らぬ間に苦手ではなくなっていたり。そもそも、たいした理由もなく苦手に自分の中で分類されていただけのことかもしれない。
そう考えると、良くも悪くも、あまり自分の感覚を優先させず、なんでもあるがままに受け入れるようにする方がなにかと都合がよさそうだ。