自分の中でごっちゃになること
どうも、「家事見習い男子」です。
さつまいもサラダを作ってみて、思い出した。
「逆」という変換をいちいち頭の中でする
さつまいもとじゃがいも。
小さい頃から、この2つがどっちかどっちかややこしくわからなかった。
いつもこの2つが頭の中でごっちゃになっている。
わからないというのは、「家事見習い男子」の感覚では、紫色の芋の方が「じゃがいも」という言葉のもつ響きと外観のイメージがフィットしてしまって、その言葉のフィット感でややこしくなってしまう。外観のイメージ(自分が勝手にフィットした)とは「逆」と考えて、幼い頃に言葉を覚えた記憶がある。
紫色の芋にフィットする言葉は、自分的にはじゃがいもなんだけど、その「逆」だから、紫色の芋はさつまいも、っていう風に、一回一回、頭の中で変換をしないといけなかったのをよく覚えている。
他にも同じようなことはあって
金と銀も、この「逆」の変換を一回一回、頭の中でしないといけなかった。
どうも灰色のキラキラと光っている感じが金という言葉のイメージだったので、その逆と思って、銀を認識しないといけなかった。
その他にも、英語のLeftとRight、それに、うつぶせとあおむけ。
どうやら自分(だけ?)の脳は、最初に感じた第一印象が支配をしてしまうようで、最初にボタンの掛け違いが生じると、その後、一回一回、「逆」と考え直さないといけないので、かなり面倒な始末。
こういう感覚って他の人もあるのかな
特にLeftとRightとか、うつぶせとあおむけは、いまだにややこしくて。
ヘッドフォンで音楽を聞くときも、LとRが書いてあって、どっちだっけ?っとなることもしばしば。その都度、野球のポジションを思い浮かべて、ホームベースから見て左だからレフト(Left)かと一回一回考えることもしばしば。
健康診断で超音波の検査をするときも「仰向けに寝てください」とサラッと言われるんだけど、うつぶせには「伏せ」が入っているから、その逆の天井を見るを方があおむけだったよな、と一回一回考えて、そんな考えていることを気づかせないように対応をしている。
不便なんだけど
一回一回、不便で面倒なんだけど、きっとこれらの言葉とは何かしらの縁のようなものがあるのかな、とポジティブに思って過ごしています。
こういう感覚って、他の人もあるのかな。